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メンター通信 第51号

発行日2008.3.25

住所がないのに、葉書が届いた!

前回あるガソリンスタンドのスタンプカードの話を書きましたが、それ以上のオオボケをやってしまいました。
今年私は同窓会の幹事を承っております。この年になりますと段々とその人数が減っていくのですが、集まりが悪いという点と天国へ召されるという両面から参加者が減っていくわけです。
それを食い止める意味もあり、8月の開催にも関わらず2月に一度ハガキで日程を連絡し、その後改めて出欠を取ることにしました。
2月も月末に近づいてきて、少々焦っていました。
でも日程だけ知らせればよいので、パソコンでさっと作って投函すればよいと簡単に考えていました。
「同窓会の幹事4名の名前はいるよなぁ。それから連絡先、これは自分の名前にして、携帯の方がいいかなぁ」
「よし出来た」
そして直ぐに投函しました。
それから数日が過ぎてのことです。
「あれ?住所不明で一通も戻ってこない」
「この年になると移動も少ないのかなぁ。」とのんきに構えていました。
あれ?そう言えば、私は思わずパソコンを覗き込みました。
「しまった!携帯の番号しか載せていない。住所を書き忘れた」
これでは、戻ってきませんよね。
ところがです。どういう訳か、2日後1通戻りがあったのです。
どうやって私の住所が解ったのか。良く分かりませんが兎に角届いたのです。
幹事4名の名前を連名で書いてあったにも関わらず私のところへ届いたのです。
しばらくしてから、県外の郵便局から携帯に電話がありました。
それも同じく住所不明の葉書の件です。
普通はこのパターンですよね。
私は勝手に、「これは相当郵便局で有名になったんだろうなぁ」なんて思ってしまいました。

思い起こせば会社を立ち上げたときです。
私は小さい頃から、おふくろに「お前は何でも中途半端で、飽き性だ」といわれ続けてきました。
事実私は何度も仕事を変ってきています。
流石に今度ばかりは、会社を立ち上げるので、最後だと思い何か継続しようと思い、昔一度チャレンジし断念していた「複写はがき」を引っ張り出してきました。
ご存知の方もあると思いますが「複写はがき」は、葉書の上にカーボンを乗せその上に「複写はがきの控え」というのを引いて葉書を書くものです。葉書には、カーボンが写り相手先に届きます。そして書いたものは手元に残るという具合です。
私がこの「複写はがき」と出合ったのは、平成3年のことです。
複写はがきのことを聞いてすぐに「はがき道の坂田先生」に電話を入れました。
当時有名な方だとは知らず電話しましたが、今思えば無謀なことをしていました。そして複写葉書を取り寄せたのです。
私は先生から複写はがきを送って頂くまで、どのように使うのかも全く解りませんでした。

後から知ったのですが普通は、坂田先生の講演を聴かれて複写はがきを知り、複写はがきを始めるようです。
私は坂田先生の話もお聞きしたことがなく、興味本位で取り寄せただけでした。
案の定、1年間に500枚出すと始めたのにも関わらずたった10枚で終わってしまいました。(笑)
今度のチャレンジは、その時とはかなり結果が違ってきました。
なんと私は1年間で1000枚を越える葉書を出すことができたのです。それから5年間続けております。
その結果どうやら郵便局で有名になったらしく、住所なしで同窓会の葉書が戻ってきたという訳です。
では以前三日坊主だったのがどうして継続できたのでしょうか。
今振り返ってみますと、次のことに違いがありました。
まずそれほど張り切っていなかったことです。
以前は年間500枚頑張るぞ!と意気込んで肩に力が入り過ぎていました。恥ずかしながら、以前チャレンジした複写はがきの4枚目に堂々と「年間500枚を目標」と書いてありました。

その次は、仕事として捕らえたことです。ちょっと醒めてしまうかもしれませんが、最初は淡々と始めたのです。
一人で営業していく訳ですから、訪問という方法だけで成功するのはかなり厳しいやり方です。こういった方法でもよいから、お客さんと接触するところを確保しようとしたのです。
3つ目は、ハガキ1枚に書く量を少なくしました。
ハガキ1面すべてに文章を埋めるのは、時間も掛かりますしそれほど文章が思い浮かびません。
そこで半面を役に立つ○○箇条というものを印刷しました。
4つ目は、例文を考えました。特に書き出しと終わりです。
5つ目は、葉書セットを揃え、持ち歩きました。
こうしてスタートした「複写はがき」の千日行ならぬ千枚行は1年後見事成功しました。
続けているうちに私は少しずつ葉書を出す気持ちが変ってきました。

最初は仕事のために書いていましたが、いつの間にか自分への戒めのために書くようになってきました。
その戒めとは、お客さんが時間を取って頂いたことに感謝を忘れないということです。
取り分け私の「初心忘れるべからず」の初心とは、初めて会って頂いたお客さんとの感動を忘れないということでしょうか。
経営というのは、長期戦になります。
特に大企業のように一定期間で交替する社長でない会社は長期戦で考える必要があるのではないかと思います。
目先のことだけに捕らわれず、これからも長い目で見て業績を上げられることを続けていきたいものです。

伝説のドアマン。内勤で4億円を売り上げた男。

3年前、ダスキンレガートの中居さんから初めて「伝説のドアマン」という言葉をお聞きしました。
中居さんは、平成16年から「養心の会」で毎月講演会をしてみえます。
寄寓にも今年3月で私のニュースレターと同じ51回を迎えられました。
3年前その養心の会で「伝説のドアマン」名田先生の講演会が在ると案内を受けましたが、その日は予定が入っており、参加できませんでした。
そこで私は早速、中居さんにお願いして講演のCDを取り寄せました。私は直ぐにCDを聞いてみてびっくりしました。
名田先生は、ホテルのドアマンでスタートして内勤でありながら、当時のトップ外商営業の売上の5倍、4億円を売り上げたというのです。
その方法がまた、小さいことからコツコツ積み重ねていった結果でしたので、「これは本物だ」そう思いました。
それで「この人のことをもっと知りたい。」という気持ちがムラムラと湧いてきました。
インターネットを見ていましたら偶然、NHKラジオ深夜便のホームページで、名田先生のCDを見つけることが出来ました。
「これは神のお導きかぁ〜」
それ以来、そのCDを繰り返し聴いて新たな感動を得たものです。
反面もう私は名田先生には会えないと諦めていました。
ところが、この3月に講演会の案内を貰ったのです。
私は会場の早めに入り、椅子に腰掛け本を読みながら時間をつぶしていると、中居さんが現れました。
窓越しに中居さんの顔は確認できたのですが、名田先生の姿を確認できませんでした。
ドアを入って、「あっ。あの方が・・・」
私は都ホテルに立っている背の高いスラーとしたドアマンをイメージしておりましたので、「以外に小柄なんだなぁ。」
というのは第一印象でした。
講演後、茶話会にも参加し、中居さんのご好意でその後の食事もご一緒させて頂きました。
講演会では、改めて自分の今できることをコツコツ続けることの大切さを確認できました。
名田先生は、ドアマン時代に2000社の取引先の名前と役職、車種、車のナンバー、運転手の名前と顔の4点をワンセットで覚えられたそうです。
8千アイテムを覚えたことになります。

どうやってそれを調べたかといいますと、休みの日を利用してすべての会社を回られたそうです。
お客様は大企業が多くしかも経営陣がほとんどです。
簡単に会うことはできません。そこで現れそうな駐車場で寒い中何時間も待って、顔を確認しようとしたそうです。
また受付に直接行き、「心よりお迎えするために、名前と車種などを教えてください」とお願いしたこともあるそうです。
そしてこの情報を元に、お客様がホテルを出入りされるときに、誘導をすばやく行ったのです。
この2000社もの名前を覚えたことが噂になり、ホテルにこられたお客様が、名田先生を見つけては声を掛けてくださるようになったそうです。
この話をお聞きして、私自身どれだけお客様のことを知っているだろうか。
今まで私はトップの方のことだけを知ろうとしていただけです。
本来私の仕事は社長がやりにくいことをお手伝いし、業績に繋げていくことです。

そう考えますと、社員さんのこと、取引先さんのこと、業界のことを知らなければならないはずです。
自分の甘さを痛感させられました。
茶話会の後、食事をご一緒させて頂きましたが、その時にも貴重な話を伺わせて頂きました。
ヒルトンホテルは、日本では高級ホテルのイメージがありますが向こうではビジネスホテルのようなものだそうです。
売上至上主義といいますか、利益を目的にして経営する風潮があり、人の入れ代わりが激しく、育たないと嘆いてみえました。
他のホテルでも西洋の経営の仕方を持ち込んで、一時的には良くてもその後どんどん悪くなっているところがあるそうです。
私はたまたま前日に、パイン・メディテックの加藤さんから漢方の話をお聞きしました。
漢方の治療というのは自分の治癒力で、治すという方法で体質を改善することとのことでした。
名田先生の経営の話と私はその事が頭の中で重なりあいました。
健康でも経営でも即効性を望む風潮がありますが、小さい体力のないものにとっては、漢方の方がよいのではないかとつくづく思ったのです。
それと名田先生の風貌がぴったりあって、本当に良い出逢いを頂いたと中居さんに感謝しております。
有難う御座いました。

三重の元気企業・起死回生のニュースレター発行

今回はパワープロ中原社長に登場頂きました。
中原さんとの出逢いも、レガート中居さんを通じてです。

私がランチェスター経営の代理店になる前からランチェスター戦略を勉強されていました。
「三重県で教えてくれる人はいないのか。」と中居さんが九州福岡に問い合わされて、私が松阪へ訪問することのなったのです。
中原さんは、以前便利屋をされていていましたが、現在はリフォーム業をされています。
思うように売上が伸びない中、中原さんはニュースレターを発行することを決意されたのです。
ニュースレターを発行するのには、かなり葛藤があったようです。
始めたら、止めることができない。やり続けられるかというのが一番悩んでいたことだそうです。
そして遂に、始めることを決意されたのです。便利屋をやっていた時代にちょっとでも取引のあった方の名簿を集め、ほとんど顔もわからない人も入っていたそうです。
兎に角始められたそうです。
その当時私もお邪魔しましたが、「直ぐには結果は出ませんよ。」とよく話していたのを懐かしく思います。
ニュースレターの成功のコツは、3ヶ月間売りを抜きにして、発行することだけに集中することです。
その後3回に1回だけ売込みを真剣に考えて反応を見ていくのが一番よい方法です。
そんなことを続けていくうちに、ニュースレターから少しずつ問合せが増えてきます。
そして今ではニュースレターは中原さんにとって、止める事のできない営業システムとなったのです。
ウィクリートークでは、中原さん自身から語って頂いておりますので、一度聞いてみてください。
【ウィクリートーク】で検索してみてください。
http://www.i-mentor.jp/weekly/talk.html

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